2011年9月27日火曜日

4日目(2008年8月24日・日) ⑭サンクト・ペテルブルグ 2日目夕方

さて、半年ぶりのご無沙汰!
エルミタージュを見学して
またぞろ宮殿広場に
出てまいりました!
自立する塔






宮殿広場の様子をしばし。
こういうアーチ型の門? 
ここで初めて見て
感動しましたが、
なに、あ~た! 
あらゆるヨーロッパ建築の
良いとこどり模倣をした
ピョートルとエカテリーナ。

これ、ローマに本家本元がありました!

でも、こちらは模倣なだけあって、
新しく綺麗は綺麗で、
かつ広大なので、
見応えはあります!






広場の様子をしばし。
見るからに
ロシアのどこかから来た
家族連れの観光客ですね。
ロシアの皆さんも、
観光ができるように
なっているんですね、
って、ソ連時代から?






あら? 
観光家族のお母さんかと
思ったこの方、
地元の職業婦人の様ですね。

このだだっ広い宮殿広場。
ピアース・プロスナン主演の
「007」シリーズで
この広場を
縦横無尽に戦車で
破壊尽くしていましたが、
いかに復興中だったのかもとはいえ、
度が過ぎている様に
見えたのは、
ワタクシひとりだったでしょうか?

007といやぁ~、
国宝姫路城にも
穴開けた悪たちですから・・








さて、バスでやってきたのは、
こちら!
ガイドブックには、
ニコライ宮殿とあるのですが、
ほんとだったかどうか?

手元のメモによると
「ニコライ1世の息子のための屋敷」とある。
これ、アホのミハエルの説明を書きとめたもの・・







正面玄関。
夕食前にワイン1杯と
フォークロワショーを一幕見学。
地元の人と思しきも
たくさん入って盛況でした。
もしかして
ロシア各地からの観光客だったかも?







こんな感じの屋敷でございます。








 
中では、
コザックスタイルの歌とダンスのショー。
この太っちょの方率いる
この4人組男性コーラスが
最後にアカペラで
ボルガの舟歌」を合唱します。

昔、父親が家族の前で
学芸会宜しく、披露してくれて、
そのまんまのメロディーと歌詞で
びっくりしまして、
ちょっと思い出して
ジーンときました。






出演者も民族が多彩。
アジアっぽい人もいて、
多民族国家を認識しました。







この緑の民族衣装の方は、
ま、サンクトペテルブルクの
黒柳徹子
とでも申しましょうか、
同じく右手にいるSPのブラピに
何やら言い寄っている様子。
この人が一手に
コミカルな役回りを引き受けています。

どこでも劇の構成は同じですね。







ニコライ宮殿入ってすぐの階段。









さて、フォークロワショーを後にして、
またぞろバスで
ネフスキー通りの中心部へ
とって返します。

イサーク寺院






イサーク寺院まえ広場






イサーク寺院







イサーク寺院と向かい合う
マリンスキー宮殿。

現サンクトペテルブルク市庁舎







この広場でバスを降りて、
アストリアホテル(左)の横の
この掘り返してある脇道を通り、
夕食のため
レストランへ向かいます。








何と言うこともない、前菜・・








周りの殻を破ったら、
中は固い肉のスープ。
総じて、
このツアーで案内されたレストランの食事は
お勧めできません。

ホテルのバイキングは
どこも最高でしたから
きっともっとおいしいレストランは
あるはず。







どうということもないクレープ

この旅行中、
食べ物の画像がないことに気づき、
最後に撮ってみました。








夕食後外に出てきて、
まだこの明るさ。
北欧に近い緯度ですからね。

道路工事をしている、これは戦車?








道路工事だけでなく、
水道の工事もだったかな?







ま、そんなこんなで
目抜き通りの
工事中の道の脇を通って
バスの待つ広場へ向かいます。









前を歩いているツアー客の
背の高さと比べて下さい。
いかに巨大な建物か
お分かりでしょう。
って、これが普通?







ようやく広場も
薄暗くなって来ました。








そうして、戻ってきました
ホテル・モスクワ。
サンクトペテルブルクなのに
モスクワとはこれ如何に?

モスクワ行の駅
(その名もモスクワ駅)の近くなんですね。








夜9時半過ぎ。
ホテル・モスクワのロビー。








V-shan のお部屋でございます!








今夜も落っこちないように
壁際にくっ付いて寝ます。
お休みなさい。


明日はいよいよ出立の日!

つづく・・・            ......to be continued......     







2011年1月27日木曜日

4日目(2008年8月24日・日) ⑬サンクト・ペテルブルグ 2日目午後 エルミタージュ見学

さて、マチスやゴーギャン、
セザンヌの絵画の後、
やって来たのはこちら、
「黄金の客間」
冬宮の南西のリザリート(翼部)。

って、エルミタージュを鳥瞰して、
左上隅から時計回りに順に、
緑色の大きな「美術館」、
小さな「小」エルミタージュ、
ネバ河に向いた黄色い「旧」エルミタージュ、

それと背あわせの
同じく黄色い「新」エルミタージュ、
をひっくるめて全体を長方形と見ると
左下隅の部分です。






客間とありますが、
皇太子(後のアレクサンドル2世)の
新居として
「白の間」とともに作られたもの。

1841年 A.P.ブリュロフ設計。








公の間ということですが、
白の間といい
この黄金の間といい、
真っ白、金ぴかだらけだと、
プライベートには
向きませんね。

1850年にこの黄金の客間は
A.シュタケンシュナイダーによって
改装され
現在の様な金ぴかピカになるのは
さらにその後。








黄金の客間に隣接する
アレクサンドルの
嫁用の私室。
マリヤ・アレクサンドロヴナ大公女の
頭文字MAのモノグラムが
いたるところに使われているって・・

鏡の上の飾り部分ですね。
しっかし、
こんなまっ赤っかじゃ、
気が休まらないと
思うのは平民だけか・・・ ?







大公女の赤い部屋・・ 
ブドゥアールってそれの事?
この天井は
多分大公女の赤い部屋のもの。

因みに、ブドゥアールの設計は、
G.E.ボッセ 1853年。







同じく大公女の部屋の壁

この部屋は
いまでは、部屋の左隅を
観光客が通り過ぎる際に
見学する様になっているけど、
かつては通りぬけられるのは
大公女本人と
アレクサンドル2世と
女官のみのはず。

第二のロココ様式







再び、
黄金と青のカーテンが特徴の
「黄金の客間」

このあたり皇太子時代の
二人の部屋なので
すべて繋がっています。

「木莓の書斎」というのも
隣接されていたようですが、
そちらは見ずじまい・・・







黄金の客間の天井部分。
金ぴかぴか。
最初に設計したブリュロフの時は
質素だったそうで、
現在の様な金ぴか趣味は、
その後手直ししたV.A.シュレイベルの
1860年代か1870年台末の
改修工事の時らしい。

ま、公用ホールだから
仕方ないんだわね。








さて、廊下を北上し、
緑色が特徴の冬宮(現エルミタージュ美術館)の
長方形の左上隅の部屋、
「ロトンダの間」へ向かいます。







冬宮は
皇族の住居部で
部屋群は「パラヴィーナ」と呼ばれたそうです。
こちらロトンダの間は、
ニコライの2世とその妻の住む部分です。

こちらは、ロトンダの間へ抜ける途中の小食堂。
A.F.クラソフスキーの指揮。 
ロココ様式。
図書館もあったらしいのですが、見れず。







ロトンダ(孔雀石)の間。
この柱の緑色の石が
孔雀石なんですね。







この部屋はただ通りぬけるだけ。
通りぬける前に振り返って、
入って来た方(左手)を見る。 
金色と緑と真紅のカーテンが特徴。

ニコライ2世の住居。
「ロトンダ(孔雀石)の間」
A.P.ブリュロフ設計。







天井部分。







入って右手の壁部分の装飾。
部屋の左手は
窓でネバ河が見えます。







そうして、ついにネバ河に面した
北側の回廊を通り・・・








冬宮の中庭に出てきたのでした。
左手、出っ張ってるあたりの対角線上に
先ほどの
アレクサンドル2世の住居群、
「黄金の間」があります。






緑色の冬宮
(現エルミタージュ美術館)の
ほぼ中央の中庭。







中庭にある緑地帯。
ベンチがあります。
上の写真の左手を見たところ。







こちら、
エルミタージュ美術館入口部分を
内側から見ているところ。







そうして、出てきたところは
宮殿広場です!



つづく・・・     to be continued...


2011年1月26日水曜日

4日目(2008年8月24日・日) ⑫サンクト・ペテルブルグ 2日目午後 エルミタージュ見学

皆様、こんにちは!
昨日に引き続き、新エルミタージュです!
ここは、天窓の間の脇の扉から続く「古代絵画史ギャラリー」です!
ミハエルはこんな美しいギャラリーを躊躇せずスキップです! あほ~~~!

ここは、新エルミタージュのホールの入口として考案されたそうです。
レオ・フォン・クレンツェ設計




脇にいっぱいみたいものがあるのですが、
ミハエルは構わず先に進むので、
焦ってまた天窓の間に戻ってきました。






どうもミハエルの行動をみていると、
ミハエルは絵画に重点を置いているようです。
ま、ね・・。 本物ばかりですからね・・。
こちら緑の「レンブラントの間」





ミハエルの意図を汲んで、レンブラントの自画像




同じく、歳を取った頃のレンブラント自画像






晩年のレンブラント自画像。
以上3作はきわめて有名で、皆様もご存知かと。





これがレンブラントの間の天井






そうして緑の部屋が続きますが、こちらは
「テントの間」
17世紀オランダ画家の絵がかざられている。





「テントの間」とは、天井がテントの様に山形になっていることからの名称。
緑色の壁と調和の取れた天井はとても綺麗な装飾。





天井、こんな装飾なんですが、
解りますでしょうか? 綺麗ですよね。
テントの間はレオ・フォン・クレンツェの作





テントの間の壁と窓の上部




そうして、緑の部屋を通り過ぎ・・・





また、赤い間
当然ミハエルの説明はありません!
矢の様に通り過ぎるのでありました。





だけど、この間だって素晴らしく良い部屋なんです。
わかっとんのんかい、ミハエルは!





この絵は、見たことあった・・
なんでしたっけ・・?
しかし、ミハエルにとってはどうでもいいらしい





さて、一行のビリケツを遅れながらついていって、
入ったのがこの天井の間!
これもまた美しい天井!





天井の装飾に特徴のある「スネイデルスの間」
17世紀フランス芸術が展示されている部屋
静物画の巨匠 フランス・スネイデルの「露店」などが展示。
レオ・フォン・クレンツェの作

絵画ってあんまりありすぎるとどうでも良くなってしまう・・






走るように通り過ぎる部屋の天井
見るべきものは多い
でも、ミハエルのせいで、駆け抜ける青春!





一変して、現代美術館の様な
なんの装飾もない白い部屋へ出る。
セザンヌの「パイプをくわえた男」





あとで、エルミタージュの各部屋の位置関係を
調べても、一体ミハエルはどういう規則性をもって
各部屋を回ったのか解りません。





ルノワールの「女優ジャンヌ・サマリーの肖像」
絵画の撮影ってパンピーにはとっても難しかったです。




絵画を見ることが主眼なら
こういうシンプルな部屋に限ります。
主張のある部屋での絵画鑑賞は大変。
注意が散漫になる。





ゴーギャンですね。





シンプルな白い部屋と部屋を行き来する間に
見たここは、「アレクサンドルの間」
なんにも置かれておらず上からみるだけ。
大火災後、A.P.ブリュロフにより復元された。
大火災って、1837年かなぁ?

『ブリュロフは、内装において「ゴシック様式」の半円の
丸天井と円柱の束を「ビザンチン風」の
傾斜の緩やかなクーポラと融合させている・・ 』
そーですか・・




そうして、またぞろシンプルな部屋で
アンリ・マチス等の絵を見る・・・





マチス





マチス





え、と・・ この絵は誰のだったか・・
マチス?